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バンコクで隠れていた日本軍人・辻政信の潜伏場所・タイの歴史観光

バンコクで隠れていた日本軍人・辻政信の潜伏場所・タイの歴史観光

目次

コロナが落ち着いて、バンコクを観光に訪れる日本人も増えてきています。
バンコクには戦前から日本人が多く住んでいたので、日本人に関係する歴史スポットがあちこちにあります。
第二次世界大戦中、日本陸軍に辻政信大佐という参謀だった軍人がいました。
日本の敗戦時、辻政信はバンコクにいたのですがタイに進駐してきたイギリス軍に追われる身となり、僧に変装してタイ国内を移動し、ラオス、そして中国経由で日本に帰国するという潜伏行動をしました。“いけいけどんどん”で独断で行動するタイプの指揮官で、イギリス領だったマレーシアの攻略で活躍したり現場の兵士に人気があった一方、勢いに任せた雑な作戦が多く、事前調査の浅いまま攻勢を指示する傾向があり、ノモンハン事件で失敗した時は部下に責任をとらせた説もあったり、指揮系統を無視した行動をするなどで、評価が分かれる人物なのですが、タイなどでの逃避行の行動力はすさまじいです。
タイでの辻政信の潜伏場所についてご紹介しましょう。


最初の潜伏地「リャープ寺」

辻政信の行動は戦後彼が書いた「潜行三千里」という本に記録が残っています。
それによると、1945年8月、日本が敗戦した際、同盟国だったタイにいた辻政信はタイに残り工作活動をすることを画策します。
数名の部下とともに当時あった「タイランド・ホテル」で頭を剃りオレンジの衣を着てタイの僧に変装します。
そして潜伏したのが、中華街の近くにある「リャープ寺」(現在のワット・ラチャブラナラー・ ウォラウィハーン」の日本人納骨堂のなかでした。この納骨堂は戦前から現在にいたるまであるもので、タイで亡くなった日本人の遺骨が納められています。ここで僧として暮らしながら情勢を観察していました。

ところが、9月にイギリス軍がタイに進駐してくると、タイ全土に非常線が張られ、潜伏している日本人の洗い出しが始まります。
逮捕は時間の問題となったため、辻政信はなんと、これまでの敵だった中国国民党に近づくことにします。
日本軍がいた時代バンコクには「藍衣社」という中国国民党のスパイ組織が潜入していて、タイ人華僑へ工作をしていましたが、その本部に乗り込んで、自分を売りこむことにしたのです。

スラウォン通りに向かう

辻政信が向かったのは「藍衣社」の本部があった、現在のタニヤからも近いシーロムのスラウォン通りです。
ここは戦前、日本人街だったのですが、日本人が撤退した後「藍衣社」が事務所を構えたのです。詳しい場所は不明ですが、「英軍将校倶楽部の隣」にあったとのことなので、おそらく、現在の「Neilson Hays Library」ニールソン・ヘイズ・ライブラリー(スリウォンにあるイギリスが建てた図書館)の隣だったと考えられます。

町中にイギリス軍とタイ警察の検問があるなか、サムロー(人力車)の運転手に、「相場が5バーツ」だったところを10バーツ払って検問をうまくかわしてもらい、到着。

「藍衣社」を訪問した辻政信は、当時タイでは華僑とタイ政府が対立して衝突があったのですが、事件の情報を持っているということで自分を売り込むことに成功。中国人の手引きでバンコク郊外の隠れ家に移動します。このころはイギリス軍より「日本人をかくまった者も即刻銃殺」という指示が出ていたという危険な状況でした。


変装してタイ国鉄でメコン川へ

1945年11月、中国の工作員の協力者とともに華僑の老人に変装して、隠れ家からタイ国鉄クルンテープ駅へ移動。

ここから列車で東北地方のコラートを経由して、当時の終点のウドンタニに到着。そこからバスで国境のメコン川まで行きます。なんとこの中国人工作員はタイ軍の憲兵に変装していたそうです。

ここでもイギリス軍とタイ軍が警戒していましたが、警備の薄いエリアへ行き、タイ軍と交渉して荷物検査なしで川を渡る許可を得ます。そして丸木舟でメコン川を渡りラオスに入ります その後、ラオスからベトナムのハノイを経由して中国へ。
中国共産党と勢力争いをしていた中国国民党で軍事情報関連の仕事をしたあと1948年上海経由で日本に秘密裏に帰国、日本で戦犯指定が解かれるまで潜伏をしました。


その後の辻政信の謎

70年以上前の交通の便が悪い時代のタイで動き回った行動力は興味深いです。タイ人が警戒しない僧に化けるとか、相場の倍のお金を握らせてサムロー(人力車)ドライバーを抱き込むなど、現代にも通じそうな部分はおもしろいです。

辻政信のその後ですが、日本で立候補して国会議員になると、1961年にラオスを訪問します。そこでなぜか再び僧に変装して田舎へ移動をした後、行方不明になります。
ラオスのパテト・ラオ(共産軍)にスパイ容疑で逮捕され銃殺されたと言われています。
始まりつつあったベトナム戦争の停戦をホーチミン主席に交渉に行ったとされていますが目的は不明で“日本軍の隠し資金を回収に行った”という都市伝説も出ました。現在に至るまで、実際の目的と行先はわかっていません。
最後まで謎の多い人物でした。

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