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タイ・プミポン国王陛下崩御・日本大使館の情報とバンコク現地の様子

タイ・プミポン国王陛下崩御・日本大使館の情報とバンコク現地の様子

タイ王国国王であるラーマ9世、通称プミポン国王陛下(プーミポンアドゥンラヤデート様)が、2016年10月13日、88才で崩御したとタイ王室庁が発表しました。 謹んで心より哀悼の意を表します。

プミポン国王陛下は1927年12月5日に生誕されました。1946年6月9日に即位されてから、2016年6月9日に即位70年を迎え、世界最長の期間王位に就いている国王でした。シリキット王妃との間に1男3女のご子息があり、後継者候補としてワチラーロンコーン王子、シリントーン王女に王位継承権が贈られています。

貧困撲滅のため「王室プロジェクト」と称した地方経済の活性化の事業を自ら指導されるなどして、軍事クーデターなど政情が不安定になることが多いタイにおいて精神的な柱のような存在として、タイ国民の敬愛の念を集めていました。

プラユット首相によるテレビでの発表の様子。
プラユット首相によるテレビでの発表の様子。

 プミポン国王と日本の関係・大衆魚「プラーニン」のエピソードとは

日本との関係も深く、有名なエピソードとしては、タイの屋台で見かける焼き魚「プラーニン」の話があります。

タイで第二次大戦後、食料事情が悪かった時にプミポン国王は国民の栄養状況の改善のために、自ら淡水魚の養殖を始めました。そしてタイを訪問された、魚類の研究者でもある日本の皇太子明仁親王(当時。現在の今上天皇。以下同じ。)にご相談されたところ、その魚ではなく別の、繁殖力が強く養殖に適しているティラピアという魚を勧められたそうです。

翌年、日本の皇太子殿下は皇居で育てていたティラピアをプミポン国王に贈られました。プミポン国王はその魚を王宮で養殖して増やし、その後、タイ全土に広めていきました。そしてこの魚のタイでの名前を「プラーニン」と名付けられたそうです。

タイ語で「プラー」は魚という意味ですが、「ニン」は、皇太子明仁親王の「仁」にちなんだものとされており、国民生活の向上に情熱を注がれたプミポン国王と、そのお心に応えられた日本の今上天皇との絆の象徴ともいえる魚となりました。

また、プミポン国王は、日本製のカメラや自動車などを愛用する親日家でもありました。

13日21時現在、各テレビ局では、プミポン国王の過去の映像などを放映しています。
13日21時現在、各テレビ局では、プミポン国王の過去の映像などを放映しています。

13日夜の時点でのバンコク・シーロムの様子

プミポン国王の崩御発表を受けて、タイの各テレビでは、軍政当局などの発表・報道ニュースのあとは、国王陛下の過去の映像などを放映しています。2016年10月13日夜の時点の、シーロム・日本人街タニヤ近辺での状況ですが、目だった混乱は起きていません。普段と同じように通りを人が行き来し、タイの人達は深い悲しみの中にも、整然と秩序だった行動をしていると感じられます。

13日21:00頃の、バンコク・シーロムの日本人街、タニヤ通りの様子。
13日21:00頃の、バンコク・シーロムの日本人街、タニヤ通りの様子。

在タイ日本大使館の在留邦人向けの「お知らせ」によると、

「テレビの一斉放送により、首相府から発表がありましたところ、概要を以下のとおりお知らせします。」として、

(1)全ての公的な場所、国営企業、政府関係機関及び、教育機関は、10月14日より30日間半旗を掲揚する。

(2)全ての公務員及び国営企業従業員、政府機関職員は、10月14日より1年間喪に服す。

(3)一般国民は、適切な行動を考えて行動すること。

 とのことです。

タイ・プミポン国王陛下崩御・日本大使館の情報とバンコク現地の様子は以上です。タイへの観光・出張での渡航について、なんらかの影響があるような公式発表や街の様子に変化がありましたら、随時情報を発信していきます。

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